インストラクショナルデザインの「デザイン」について考える(2)

前回からの続き)
 そのため、設計スキルだけを磨いてもインストラクショナルデザイナーはその力を発揮する機会は少ない。自ら教師としての指導スキルを磨くか、エンジニアとして開発スキルを磨くか、優れたチームを率いるためのプロデューススキルを磨くか、指導、開発、プロデュースいずれかのスキルをセットで持たないと、現場ではインストラクショナルデザイナーとして活躍することは難しい。いくらレッスンプランやそれらをまとめたコースプラン、さらに複数のコースを体系化してカリキュラムプランを上手に書けたとしても、結局のところはそれが実際にどれほど優れているかを示す手段を持たなければ、インストラクショナルデザイナーは自らの存在意義を示すことができない。


 少し考えてみればこれは他の分野でも同じことだ。デザインだけ単体で専門職として機能するのは、すでにそのデザイナー職の存在意義が認知された分野で、しかも比較的規模の大きなプロジェクトであって、小規模なチームで動く際には、デザイナー自身も設計だけでなく何らかのスキルを使って現場の作業に入っていく必要が生じる。服飾系のデザイナーは、デザイン案を描いて自分でプロトタイプを制作する。グラフィックデザイナーは設計スキルそのものが開発スキルと一体化していて、開発スキルがなければデザインはできない。インテリアデザイナーも図面を書いたら、自分で手を動かしてデザインした空間を自ら実現する。ゲームデザイナーというのもあるが、これはデザイナー職というのがあるというよりは、役割としてチームの開発者またはプランナーが全体のデザインを統括する立場という感じだ。つまり、どの分野でもデザイナーが青写真だけ書いて、実作業を他の専門職が担当するという状況はあまりない。デザイナーがデザインだけやっているという状況は、地位を確立した一部のデザイナーによる大規模プロジェクトか、建築のようにもともと分業が前提となる性質の仕事でのみ発生すると言ってよい。
 教育分野の仕事は、デザイナーが単体で必要なほどに規模の大きなプロジェクトは現状では少なく、デザイナーを専門職として雇えるほどの組織というのは多くない。そのため、インストラクショナルデザイナーが活躍するためには、個人としては前述した何らかの実践スキルに強みを持つことが重要になる。たとえば、前のエントリーで紹介したグラボウスキ教授も熊本大学の鈴木先生も、その卓越した設計スキルを活かす優れた指導スキルを持っている。必ずしも自ら授業したり開発したりする必要があるわけではなく、設計スキル+プロデューススキルをデザイナーとしての強みとして持ちながら、腕のよい専門職たちとチームを組んで活動するという選択肢もないわけではない。大きな仕事をしていくにはプロデューススキルが不可欠なのでむしろ強みとして持っておくに越したことはない。ただ、プロデュースというのはスキルとして体系化されているわけではないので、何をすればよいスキルが身に付くのかははっきりしない。
 日本ではたしかeラーニングへの注目とともに、1990年代後半くらいからインストラクショナルデザインが注目されるようになり、インストラクショナルデザイナーという肩書で教育分野のコンサルタント的な立場で専門職として活動する例が見られるようになった。しかしその多くはその存在意義を認知される前にeラーニングの停滞とともに下火になった。その理由として、そのような立場の人たちの多くが十分なコアスキルを持たずに我流で動いていて、結果としてその役割ならではの仕事ができていなかったことにある。その意味では、熊本大学で専門家育成のための大学院プログラムが設置されたことや、ibstpiのような組織の取り組みによって共有すべきスキルの確立に向けて進んでいることの意義は大きい。
 一時的に盛り上がって下火になった感があるとはいえ、インストラクショナルデザイナー的な役割自体が教育の場で不要になったわけではないし、むしろ学習活動や社会で求められる知識が多様化するにつれて、その役割の重要性は増していると言ってよい。そのため、インストラクショナルデザイナーとして活動する個人としては、設計手順だけ学んで専門性を身につけた気になるのではなく、実践スキルもあわせて磨いて引き出しをたくさん持つことが重要だし、この専門分野自体を盛り上げたい人たちは、駆け出しデザイナーが持つべき個々のサブスキルを身につけるための訓練方法を整備していくことが求められている。
 そういう努力が一つ一つ形になることでようやく、他の分野のデザイナーのようにセンスや創造性を活かしたデザインワークが生まれてくるのだろう。教育分野のデザイナー像も、今は(いわゆる「デザイナー」的なサイケな格好や偏屈さや変なキャラクター像のような)ステレオタイプなイメージすら形成するに至っていないが、専門職として確立されるに従っておそらくインストラクショナルデザイナーの専門家像が形成され、他の分野のデザイナー像と対比できるようになることだろう。
 この分野の振興のためには、他の分野にいるような「スターデザイナー」を早く生み出すべきだという議論もないわけではないと思うが、専門スキル自体がまだ未分化で未確立な現状では、そういう試みだけ先行させても、まずうまくいくことはない。現在地道に学んで実践している人々たちの手で、地道に後進を育てていく過程でようやく、そのようなスターデザイナー的存在も生まれてくることだろう。
 人を育てて専門分野を形成するのは時間のかかる作業であって、促成栽培をやっても種が弱くて後が続かない。人が集まるように刺激を与える仕掛けはありだとしても、「100年の計」として基本的なところはおさえておくべきで、まずは土壌作りから入って種をまいて、スターの芽が出て育つのはそこからの話だ。たとえば鎌倉仏師の世界で言えば、運慶や快慶のようなスターは何もないところからぽっと出てきたのではなく、優れた師のもとで学ぶ人々が何世代か経てきたなかで出てきた逸材が才能を開花させてスターとなったわけだ。そういう意味では、一足飛びにインストラクショナルデザイナーが活躍できる世界が来るのを期待するのではなく、まずは一つ二つでもよいから人の育つデザイン工房を作って、よい物を生み出し伝えていくことに注力すべきだろう。
 デザインについて考えると言いつつ、そのスキルを担う人の方の話が中心になってしまったが、インストラクショナルデザインにおけるデザインスキルの話も、他の分野と対比して考えるといくつか面白いところがある。それについてはまた機会を改めて書こうと思う。
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