ゲームと非ゲームとシリアスゲーム(2)

 前回の「ゲームと非ゲームとシリアスゲーム(1)」に続いて2回目。前回分から先にご覧ください。
★エンターテインメントゲームと非ゲームの違い
 DSで注目されるようになった「非ゲーム系コンテンツ」にも幅がある。まったくゲーム性のないものも、ゲーム的な要素を多分に含むものもこの枠の中で語られている。「ゲームか非ゲームか」を分ける要素は、「ゲーム性の有無」と、「ハードとしてのゲームメディアをプラットフォームに使っていること」の2つである。
 「ゲーム性の有無」については、「ゲームとは何か」というところに立ち返って考えると、ある程度境界線がはっきりしてくる。たとえば、「バランス・オブ・パワー」などの戦略シミュレーションゲームのデザイナーとして知られるクリス・クロフォードは、著書「The Art of Computer Game Design」で、コンピュータゲームは次の4つを共通要素として持つとしている。
・描写(Representation)
・インタラクション(Interaction)
・対立(Conflict)
・安全性(Safety)
 これを簡潔にまとめれば、「何かの世界を描写して文脈が提示され」、「ユーザーのアクションに対してフィードバックがあり」、「一定のルールや競争やチャレンジがあり」、「アクションの結果が現実には直接影響しない」ことだとされる。クロフォードだけでなく多くの研究者やデザイナーがゲームの定義を議論している。(詳しくは拙著「シリアスゲーム」の第一章「ゲームと教育・学習」を参照)。この要素の有無で判断すると、非ゲームと呼ばれている製品も「ゲーム性あり・なし」の軸で位置付けが見えてくるだろう。
 ここで「ゲーム性あり」に分類できるのに、非ゲームとして語られているタイトルはなぜそうなのか?それらは「従来のエンターテインメントゲームとは異なるタイプのゲーム」という意味での非ゲームなのであって、「非(エンターテインメント)ゲーム」である。「ゲーム性なし」のタイトルは、文字通りの意味での「非・ゲーム」なのであって、それらは「ゲームメディアで提供されるゲームでないコンテンツ」、または「ゲーム会社がゲームのノウハウを使って開発したゲーム以外のコンテンツ」という意味でわざわざ非ゲームと呼ばれているのだと言える。つまり、非ゲームには「非エンターテインメントゲーム」と「ゲームメディアで提供される(ゲームのノウハウを利用した)ゲーム以外のコンテンツ」の2種類あると考えるべきだろう。
 具体的なタイトルを例にして考えてみる。「脳トレ」や「常識力トレーニングDS」をはじめとする同種のタイトルは、教育分野から見れば「学習履歴管理機能付のドリル学習教材」であり、それがゲームをプレイしているような快適な操作感で気軽に利用できるという点に付加価値がある。だがそれと同時に、これらはゲームのジャンルで言えば、「クイズゲーム」や「パズルゲーム」と呼ばれるものであり、プレイ過程の全体を通して、上記のゲームの要素がすべて当てはまる。学習要素が強い「英語漬け」も、ゲーム性の観点から見れば、ここに区分されると言ってよいだろう。
 「ニンテンドッグス」も、「バーチャルペットソフトウェア」と捉えればゲーム以外に括ることもできるが、プレイ内容自体はゲームそのものだ。芸を仕込んで大会に出て賞金を得るところや、貯めたお金でアイテムを買い、部屋をアップグレードするなどの活動は、エンターテインメントゲームで普通に出てくるゲーム要素である。また、「タッチで楽しむ百人一首 DS時雨殿」は、そもそも百人一首がカードゲームであって、麻雀やポーカーがゲームなのと同じくゲームである。これらはいずれも、従来のゲームの枠組では出てきてなかったタイプのゲーム、という意味で非ゲームとされていると捉えるのが適切だ。
 一方で、辞書ソフトレシピソフトなど、ルールに沿った競争やチャレンジを含まないタイトルは、文字通りの「非ゲーム」である。DSというプラットフォームを使っていて、ゲーム会社が作っているので、「ゲームでないコンテンツ」という整理の仕方が意味を持つと言える。ただし、非ゲームコンテンツがメインであっても、「弾いて歌えるDSギター”M-06″」の「耳トレ(コードの音を聞き当てるゲーム)」ように、クイズゲーム的な要素が含まれるものもある。その意味で、この手の非ゲームにも多少のゲーム要素を含むものはあるので、前述のゲーム性の有無によって分類を細分化できる。
 こうして考えていくと、重要な視点が二つ浮かび上がってくる。一つは、「学校や資格取得のテストは、実はゲームとやっていることは変わらない」ということだ。英検もセンター試験も、世の多くの筆記テストの類は、運営の簡略化のために多肢選択式質問になっていて、これは要は2択や4択のクイズのことである。学校で嫌々学んでいたことを、マーケティング的にキャッチーなテーマで区切って、DSというプラットフォームにのせただけで、老いも若きも喜々としてやっている。
 ここに一つ教育方法論として掘り下げるべきテーマがある。学校や塾が行っている教育の多くは「クイズ回答者養成」に過ぎない。出題形式や内容が少し面倒くさいだけで、やっていることは単なる「クイズ研究会」と同じだと言っても別に言い過ぎではない。DSのヒットが、そもそも教育機関がやっていることが「クイズ対策」でよいのか、多くのところはゲームメディアで肩代わりできてしまうのではないか、という問題提起となっている。従来は見過ごされてきた知識教育偏重の学校教育の根本的な問題が、DSのヒットによって明らかにされているという点にもっと着目すべきだろう。
 もう一つの視点は、DSがエンタテインメントメディアからより一般的な家庭用インタラクティブメディアとなった時に、この「非ゲーム」という区切りがどう変化していくのかという点だ。今はまだ珍しいのでわざわざ「非ゲーム」として整理しているが、ゲームでないコンテンツが当たり前になった時点で、このジャンルは意味を失う。その時に非ゲームはどんな付加価値を持つのかが非常に問題になる。
 「脳トレ」のヒットで出てきたフォロワータイトルの多くは、これまでにパソコン用ソフトウェアで出ていたタイトルの焼き直しで、いわば「エデュテインメントの逆襲」といったところだ。そこにはゲーム会社の持つノウハウもなにもなく、単にラベルを張り替えて、DSというプラットフォームの売れ行きに便乗しているだけのようなタイトルもある。そのようなタイトルばかりが続いていくと、おそらくは脳トレブームも消費されて市場も冷え込んで消えていくことになる。
 だがそんななかでも、たとえばレベルファイブの「レイトン教授と不思議な町」のように、ゲーム会社が作るからにはこうだ、という気概をみせているタイトルも出ている。ゲーム会社がこれまでに培ったノウハウを持ってしっかり作りこんだ作品が出てくれば、「脳トレ」が切り開いた市場を一つのジャンルとして定着していく可能性はある。学習や癒しや技能の習得など、従来のゲーマー層以外の人々がゲームを手にする「言い訳」を持ちながら、さらに高度なゲーム性や従来にない操作感の良さを持ったタイトルを開発していくことが、今後のDSの非ゲーム系コンテンツの発展の鍵になるだろう。