教育工学とシリアスゲーム

 東大の中原さんがフードフォースとシリアスゲームについて書いていて、教育工学とシリアスゲームについてを掘り下げて考えるのにちょうどよいなと思ったので、呼応したエントリを書きます。
 フードフォースについては、シリアスゲームジャパンの方にいくつか関連エントリがあるので、ゲームの内容や開発の経緯などの詳細はこちらを参照のこと。
シリアスゲームサミットDCダイジェスト:フードフォースによって飢餓と闘う国連
https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/000641.html
Food Force紹介記事
https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/000634.html
 私も教育分野、中でも教育工学の領域で研究をする立場なので、基本的にはシリアスゲームを教育メディア、あるいは教育方法として捉えている。そういう人間がシリアスゲームを語ると、どうしても教育的側面が中心になるが、もともとシリアスゲームは「教育をはじめとする社会の諸領域の問題解決のために利用されるデジタルゲーム」がそのコンセプトになっている。なので、教える・学ぶためのゲームというだけでなく、啓蒙のためのゲーム、広報・宣伝のためのゲーム、政治的メッセージを伝えるためのゲーム、治療のためのゲームなども含まれる。教育工学において、ゲームを使った教育が(すごく小さな)一つの領域であるように、シリアスゲームにおいては、学校で使える教育ゲームの研究は、シリアスゲーム全体の中の一つの領域である。
 中原さんの記事で述べられている中に、二つの興味深い指摘がある。「ゲームを使った教育は、ずいぶん昔から取り組まれてきたテーマだ。」ということと、「教育ゲームを批評したりするのは簡単だけど、開発はすごい大変で、ものすごいエネルギーが要る。」ということだ。
 ゲームを使った教育、教育のためのゲームの開発は、たしかに別に新しいアイデアでもなんでもなく、ずいぶん昔から取り組まれてきている。20年も前に初代ファミコンをプラットフォームに、東京書籍や福武書店(現ベネッセ)が学習ゲームのタイトルを出しているし、エデュテインメントというコンセプトが盛り上がったのも少し前の話で、教育ゲーム自体はずっと世に送り出されている。ただ、そのほとんどは子ども向けのコンテンツだった。「MBAビジネスゲーム」みたいな対象層が上めのコンテンツも中にはあったが、主流は子ども向け。全米教育工学会(AECT)でも、教育ゲームへの関心が高まっているところなのだが、そこでも学校教育でゲームをどう利用していくか、という議論が中心。一方、シリアスゲームのコミュニティにおいては、子ども向けのコンテンツはさほど主流な存在でもなく、むしろマイナーな存在といってよいかもしれない。
 2点目の指摘も涙が出るくらいよくわかる。私も自分で開発プロジェクトをやる時には、毎度鼻血が出そうなしんどい日々を過ごして、やっとできたプロトタイプを他の人にデモして見せたら、こちらの苦労も知らずに容赦なくここが悪い、あそこが変だと注文をつけられる。直したら直したで、受け手もアイデアが刺激されたりして、もっとこうした方が面白くなる、みたいな話になってまた泣く思いをして修正する。概してそんなことの繰り返しである。
 残念なことに、昔から取り組まれ、多くの人の苦労がにじむ歴史を経てきた割には、教育メディアとしてのゲームは、プレゼンスが弱く、研究分野としても定着していない。その大きな理由として、3つほど考えられる。
1.ゲームに関心のある研究者がいろんなコミュニティに分散していて、それぞれの勢力が弱いままで推移してきたこと。
2.しっかりした研究成果がでるまで研究が継続されてこなかったこと。
3.教育デザインのスキルとゲームデザインのスキルは、互換性がありそうで実はそれほどないという点を理解されずにきたこと。
1.については、教育工学研究者のコミュニティだけでなく、他にもたとえばシミュレーション&ゲーミング学会という歴史ある学会があり、教育ゲームの研究の蓄積もあるのだが、デジタルゲームの研究をしている人は多くない。ゲーム学会というゲーム研究者のコミュニティもあるが、そこでも教育のためのゲームというのはマイナーな存在である。医学や経営学やその他それぞれの研究者コミュニティにそれぞれゲームに関心がある人がいたにせよ、一人二人か、せいぜい数人である。
2.については、研究費が尽きたとか、たまたま研究室にいた開発担当の院生が卒業したとか、年度内に成果が出せなかったとか、研究者のモチベーションが下がったとか、さまざまな理由で研究がストップしてしまい、理論や方法論を成果として出す前に終わってしまうことが問題となる。Anchored Instructionを生み出したJasperのようなプロジェクトは、相当な研究費と優れた研究者チームが複数年取り組んだプロジェクトで、あれだけの成果が出せたのである。小額の研究費で、研究室のサブプロジェクト的な規模でやったとしても、後に続くような成果を出すのは難しい。
3.は教育工学者やインストラクショナルデザイナーからよく誤解される点である。テクノロジーの知識があって、教育をわかっていても、アイデアをゲームのメカニズムに落とし込んで、イメージどおりに動作するものを必ずしも開発できるわけではない。教育ゲームといえどゲームなのであって、ゲームとしてのよさを出すためにはそれ相応にゲームデザインについても知識と経験が必要となる。多くの場合、それがないままに開発する状況になってしまうので、苦労の割には成果が出なかったり、途中で疲弊して挫折してしまったりする。
 シリアスゲームのコミュニティは、これまでのエデュテインメントや教育ゲーム研究が乗り越えられなかった上記のような問題点に対応した、研究と実践のコミュニティである。シリアスゲームのコンセプトで、これまで各分野に分散していた研究者や開発者、ユーザーとしての教師、プロジェクトのスポンサーたちが結集し、お互いの知識やリソースを共有して、成果をあげようとしている。今までそれぞれマイナーな存在だった開発会社も研究者も、中心的存在としてモチベーションを高めて活動している。コミュニティを形成することによって、勢力としてプレゼンスが高まり、資金や人材の流れも生まれた。ゲーム開発者が知識を提供するので、教育工学の研究者達もゲームデザインの知識を理解したうえで開発プロジェクトに臨めるようになってきた。欧米においては、こうした流れの中でここ数年のうちに基盤が形成されて、今の盛り上がりに至っている。
 日本のシリアスゲームは、シリアスゲームという言葉自体はここ最近、人の口の端に上るようにはなってきてはいるが、いまだ一つの分野というところまではきておらず、欧米の勢いには程遠い。しかしゲーム業界からの関心は高まっていて、あといくつかのきっかけを作れば、欧米並とはいかずとも、研究やビジネスの領域の一つとして定着するくらいのところまではいけるだろうという手ごたえを、最近感じているところである。