2006年を迎えて

 新年明けましておめでとうございます。
旧年中にお世話になった皆さまへ心より御礼を申し上げつつ、2006年が皆さまにとってよい年であることを願っております。

 このブログを書き始めて3度目の新年を迎えた。こうして書き続けていくと、自分の成長や変化がわかって面白い。記憶というのは薄れて行ってしまうが、その時々に振り返って記したことは、その時の感覚のままに残っているので、読み返すことで良くも悪くもその時に考えたことや感じたことがかなりクリアによみがえってくる。その時の勢いや集中度によって創造力も高まっているようで、素の状態の自分ではとても考え付かないことを書いていたりする。年を追うごとにその質は上がっているように思える。かたや、その時はすごく入れ込んで書いたつもりのネタだったのに、今読むとすごくしょぼく感じるものもあったりする。そういう振り返りのための素材を提供してくれるという点でブログは自分にとって有効に機能している。では、今年もまずは昨年を振り返りつつ、今年の計画や目標などを記しておきたい。


 2005年は自分にとっては起伏のある1年で、うまく行ったものもそうでなかったものもあったが、結果的には最低限の目標にしていた仕事はきっちりやりきって、ひと山越えた達成感と次につながる手ごたえを得た一年だった。地道にやってきた研究の成果をアウトプットできた。いいテレビを見て、いいゲームをやり、いいマンガを読んで、とてもいいインプットができた。もちろんいい論文も読んだが、インプットのメインはそちらではなく、日常生活の中の趣味や娯楽の中により多く含まれていた。それをインプットとして消化できるようになったのも一つの成長だろう。
 具体的にやったこととして、学会発表と講演を日米で計6本できたことが結構大きい。英語の下手さとかプレゼンのまずさとかはあるにしても、土俵に立てるだけのものは生み出せるようになったということなので、それは自分にとって大きな前進である。研究に関しては、この一年で、自分が心から重要と考え、世に問いたいことを確立できたことも、大きな前進となった。
 今年はこれまでの大学院生活の総仕上げの年になる。直近の目標としては、
・博士課程の修了試験をパスする
・シリアスゲーム本出版
・博士論文研究を仕上げて、来年早々にディフェンスできるようにする
 この3つを達成できれば上出来だ。どうせ次々にやりたいことや頼まれ仕事は増えていくに違いないので、年初の目標はシンプルにしておいた。修了試験は今月末なので、今はひたすらその準備である。大学受験の時に受験勉強へのモチベーションを使い果たした身にはかなり厳しいが、内容に興味があるおかげでどうにかこうにかやっている。あとの目標はそれをパスできてからの話なので、とにかくうまく乗り切りたい。
 それと来年の夏には晴れて学位をとって世に出て行く計画なので、今年の半ばからはそろそろ次の身の振り方を決めて、職探しなり、プロジェクトの仕込なりを始めていくことになる。最近は、何が選択肢になってくるのかを考えていくにあたって、将来のゴールやどういう生き方をしていきたいのかを整理しているところである。
 私は教育工学、特に教授システム学分野の研究者で(※熊本大の大学院過程が、奇をてらわずに「教授システム学(Instructional Systems)」と名乗ることになったのは素晴らしいことで、今後は喜んでこの日本語名称を使わせていただく)、自分の取り組んでいることは「デジタルゲームをはじめとする情報技術を使った新しい学習の仕組みを開発し、教育の質向上に寄与する」ことである。このテーマ自体とても気に入っているし、壮大なテーマなので、おそらくは引退するまでこんな感じのテーマを追求していくだろうと思う。
 私がこの道に進んできたのは、自分が学校や企業で経験してきた教育の貧しさ、無駄の多さに対する不満があまりにも強かったからである。十代の最も感受性の高まっているであろう時期に、その感受性をオフにして、退屈な時間をやり過ごすことばかり考えて日々を送らざるを得ない中学や高校での学校生活、教育方法の開発に関心の低い大学、個人のニーズやその企業の付加価値増大に全く寄与していないお仕着せの企業内研修、そんなのばかりだった。その時々で素晴らしい教師たちから学んだことは多く、その一つ一つが今の自分を形成しているのだけど、それはその教師個人が持っている資質から受けた恩恵であって、教育システム自体の良さではない。そういう状況が、子どもたちの「学びからの逃走」とか「学級崩壊」とか呼ばれる現象を生み、いつまでたっても勉強好きな人の趣味以上の意味を持たない「生涯学習」であり、社会人を何年かやってからようやく学ぶことの大切さに気づいて勉強を始める社会人の学びの現状を生み出している。そんな中で声がでかいのは不勉強な教育者や評論家ばかりで、役人や企業のトップなどの「オレの教育論」で教育の仕組みが変に変えられ、教育学者の多くは、自分の世界でしか通用しない研究しかできず、専門家として社会に働きかけられるものを示せていない。制度をいじるばかりでは教育の質を高めることはできないし、きちんと運用できる人間がいないと、どんなものを導入しても機能しない。しかもそうした問題に取り組んでている人はあまりにも少ない。そういう状況に自分の身を置いていたくはないし、自分より若い人たちや子ども達の世代が、自分が経験したような貧しい教育ではなくて、もう少しましな学習機会が身近にあるような環境を得られるようになればいい、たぶん私のモチベーションはそういうところにあるのだと思う。自分に何ができるかはともかくとして、そういう状況が一番自分の問題意識に引っかかっていることが今やっていることにつながっている。
 自分のキャリアのイメージとしては、ここ数年で自分のものつくり志向が明確になってきたので、プロデューサー寄りではなく、制作者寄りのスタンスで仕事をしていきたいと思っている。たぶんプロデュースも必要に応じてするけれど、それは自分の作りたいものありきで、それを実現するために必要な条件整備のためのプロデュース活動という感じになるだろう。人の褌で相撲を取るような仕事は日本にいるときにさんざんやってきて、それがどんなに大きな仕事であっても、自分はそういう感じの仕事の仕方を望んでないということを理解した。しんどくても下手くそでも、自分が起点となって、今までにない教育コンテンツや学習の仕組みをデザインして、それを形にしていく方向で進みたい。「オレも、ワタシも、ああいう仕事や研究をしてみたい」と教育工学分野を目指す人が増えるような、この分野の面白さを体現したような作品を世に送り出すことを目標にしている。
 シリアスゲームはその実現に向けた手段としてぴったりはまっている。自分で何かすごいのをデザインすること、それにデザイン方法論を整備していくことが中期的な課題になってくる。ここ数年はこれに取り組んで、日本でシリアスゲーム研究の基盤を作って、デザイナーやインストラクターの人材養成が始まるところまでもっていけたらよいなと漠然と考えている。
 今のところはこんな感じである。アメリカに来てすぐの頃は何となくこっちの方かな?と思う方向に手探りで進むだけだったが、前に進んでいくうちにだいぶクリアになってきた。何かを成し遂げようというモチベーションもとりあえずある。これで一年後にはどんな状況になっているか、新たにどんなものが見えるようになっているか楽しみだ。

2006年を迎えて」への1件のフィードバック

  1. あけましておめでとうございます。
    自分は正に今「手探り」状態ですが、
    Another Wayや藤本さんの存在はとても
    励みに、かつ道しるべになっております。
    領域は異なりますが、問題意識を共有できる部分、
    共同研究できる部分が多々あるように思っています。
    本年もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

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